相手にとっての唯一無二になれない時の処方箋。
先日池田園子さんいう編集を生業にしてる方がこんなエッセイを書いてました。https://note.com/sonoko0511/n/n7761c65160dd
まず内容をよく読んでみて!
ああ〜また泣きそう(おっさんが、、)。
これを読んで、なんって切実で共感を呼ぶんだろうってのが率直な意見です。モテてこなかった僕は当然誰か(パートナー)にとってあなたじゃないとダメ、と言われた経験はまあなかったのさね。不特定多数にモテたいと思ったことは実はなくて、好きになった子にモテれば良いよねって思ってた10代。いざ好きになった女子を目の前にしてモテ方が分からないので実は不特定多数にモテておく経験は大事なんだと知った20代。
こういう時代を一通り経験してエーリッヒフロムやアドラーを読み漁って、愛とは、愛するとは、恋愛と愛の違い、、、などなど知っていくと池田園子さんの願望は理解できて涙も出る。しかし一方で「これ、実は無理ゲー」という答えを確かに持つ自分にも気付いていて。
本題に関連してるのかな。モテ、について僕の意見を示しておきます。
モテという概念と、だれかにとって唯一無二な存在って一見似てませんか?
第一印象のモテというのは
確率論で特別セールスポイントがない人なら
10人の対象に会ってイケてると思われる確率論が1〜2人。ちょいモテる人ならで3人くらい。わかりやすく福山雅治とかになると8〜9人を叩き出す。
モテることについてもっと言うと、第一印象にイケてると思った3人を逃がさない人のことだと思う。で、3割イケてると思われる人と8-9割イケてると思われる人の差は本能に訴えかけるカテゴリーで変わる気がしてる。イケメン好き、経済力、細マッチョ、みたいな多くの女子が持ってる物差しの種類で打率が変わるだけ。物差し(価値観)で眼の奥のハート😍の大きさが変わる感じです。眼のハートが大きければ大きいほど恋に落ちるのだと思う。落ちる恋は運命的に感じる人も多いかも。
日本の文化において不特定多数にモテようと思ったら性別でモテるとされる要素を書き出して、そうなれるように計画すれば良いですね。体型、顔、性格、服装でターゲットの嗜好に合わせてある程度変えてあげるといい。
あるがままでソファでテレビ観ながらアルコール度数9%の酎ハイあおってポテチ食ってる人をモテる対象には世間はしないし、あるがままを貫いたからモテる対象にはならなかった事実を受け入れられるかが鍵。
#モテるためには、、、
#無知の知からはじめよう
当然だけどモテる人ほど唯一無二の視線は得られやすいよね。これはスパイモノの映画見れば答えは出てると思うのだけど、イケメンが相手の日常の中で自分の存在を意識させて、偶然を装いハプニングを起こして心の距離を詰めるって手法がほとんど。スパイの親玉は近づきたい女性の好みを把握してその女性の好みの男を生活圏内に配置するってのは何度も銀幕で観てきたはず。
実際には超絶グッドルッキング(イケてる)人じゃないと成功が難しいけどここにはヒントが隠れているような気がしてます。心に寄り添うこともまたスパイ映画では描かれますよね。相手の日常で相手の存在を脅かすような苦悩はどこにあり、相手が何に傷つき涙を流しているのか。。ここに徹底して寄り添うことで自分を救世主と思わせる手法。実際は救世主でも何でもないのだけどそう思わせたら勝負ありデスよ。
俯瞰で見てみると救世主でも何でもなくて
一種の気の迷いというか素敵な錯覚というか。第三者から見ると他愛のないこと、因果関係がないことなのだけど、本人にとっては寄り添ってもらった経験がキラキラして見えるって事。錯覚は仏教で言う迷い、三毒の類かも。ほら、映画館で銀幕のヒロインがスパイに騙されそうなとき、「あぁ騙されちゃダメ!」ってアレです。
#恋は盲目
#ときめいてるとき、観察眼って眼、つむりがち
リアルの世界でもスパイ映画と同じ手法は使えて、SNS全盛時代はSNSから情報を集めることもできます。そういう情報を使って仲良くなる演出としての筋書きを描くのはありかも。
ただ、この構造って気分的な感動なので一生続く魔法ではないですし、逆に自分が相手を唯一無二に思うかどうかは別ですし。そもそも相手を唯一無二と思うには、どのように生きてきたかという物差し(価値観)で変わりますよね。
池田さんの指摘は一言で言うと唯一無二的相思相愛。相手も自分もお互いに唯一無二視(こんな言葉ないかも)することがすごく無理ゲーだと思うのは、唯一無二と思うかどうかは結果でありものごとの過程ではないということだと思うのです。
相手からどう思われるか問題
唯一無二視(こんな言葉やっぱきっとないよね)と仕事のやりがいについて似てるところがあるので書いてみますね。
やりがいの一つに人の役に立ちたいってありますよね。社会貢献ですね。
貢献できたかどうかは自分以外の誰かに直接聞いてみないとわからないです。でも僕らは仕事をする、「誰かに貢献したか」という問いには厳密には答えずに。
つまり誰かに貢献してるかどうかではなく、貢献できていると信じて働くわけです。その働きの結果、「すごく助かったよ、ありがとう」と言われればそりゃあ嬉しいに決まってます。しかしはじめから狙ってありがとうをもらいにいくことは出来ず、他人をコントロールできない以上、狙う標的はそこじゃないと思うんです。同じことも唯一無二視に言えて「相手の唯一無二感をもぎ取る」より、「貢献感を持ちつつ働きかけを続ける」が真理で、貢献できた人の中の誰かが「結果」として唯一無二と思ってくれる、こんな構造だと思ってます。
無償の愛とはよく言ったもので、相手がどう思おうと自分のできる最大で愛する。そして独りよがりな愛になってないか時々修正する。これを繰り返していれば働きかけも愛し方も良くなっていく気しか、、、ない😍
ちょっと話それますがそもそも論として
相手にどう思われるかが過ぎると
魅力半減しませんか?例えば異性にウケを気にしてモテテクニックを駆使してる人を見ると、「あぁあなたはこう思われたいのね」となる。誰かにこう思われたいが垣間見えると時としてダサさが際立ったりします。そして「あなたがどう見られようと知らねーよ、あなたはどうしたいの?」という強烈なツッコミが待ってます。
無理ゲーだと分かっていても
それでも唯一無二視して欲しいあなたができる二つのこと。
誰かから唯一無二視されることは無理ゲーと書きましたが、それでもできることがあるとすればという思いで書いてみます。
1 自分の唯一無二視を鍛える
相手のことはコントロールできないと思っててその極端な言い方をした本が「嫌われる勇気」です。この本の中で「邂逅」という言葉が出てきます。一言で言えば運命的な出会いという意味。この本の中で指摘されてること、それは人生で出会う唯一無二の人たちをきちんと唯一無二だと思えていますか?ということ。本当は邂逅であるはずの人との出会いを自分の物差しが未熟なせいでスルーしてたら、運命の人を認識できずに人生が終わってしまうかもしれません。選球眼を鍛えるには価値観の多様性に触れ、失敗してもいいから重み付けしてものごとを決断していくことが大事です。この作業を一人黙々と行うことは精神的自立と言えそうです。
2 二人の関係がほころんだとき結び直す
もう一つ唯一無二感を持つきっかけがあるように思います。これはどちらかというと降って湧いたような唯一無二感ではなく、なんとく始まったパートナーシップを育てていくニュアンス。パートナーとは長く過ごせば過ごすほど衝突が起こるはず。この衝突はお互いにとって価値観の違いをまざまざと見せつけられ、ある衝突をきっかけに別れにつながっていくこともあるかもデス。赤い糸で結ばれてると思ったら、「結構切れる糸やん」みたいな。こんな時見方を変えてパートナーとの衝突をきっかけに絆が生まれることもあるかもしれないですよね。価値観の違いが二人の関係のほころびをきたした場合、そのほころびにどう二人が向き合い覚悟を決めるか。この人しかいないとお互いが信じ、衝突を乗り越える為にどうしたら良いかという視点に立たなければ、簡単に「価値観の相違」を理由に糸は切れます。小さなことでも二人で向き合う姿勢をお互いが示すことで繋がっている糸を固く結び直すことってできるはず。
固く結び直すことを続けていけば
糸は太く、二人の距離は結び目の分だけそれ以前より近づくはずです。二人がまるで一つの生物かのように近くいられたら、そしてその間の糸が綱のように太くなれたら、主観でも客観でも唯一無二を表現できるのではないでしょうか。
おちまい。